「Quasicrystal」
対談「準結晶(QUASICRYSTAL)と織物」 井高久美子(キュレーター)×古舘健(アーティスト)×細尾真孝
Quasicrystal
羽衣―究極の美と機能を持つ織物を求めて 原瑠璃彦
羽衣とは一体何だろうか。「羽衣」という言葉には、鳥の「羽」と、人が着る「衣」の両方が結ばれている。その衣はまず、何にもまして美しい様相を有する。白竜もまた、羽衣を見つけたとき、その美しさを讃えている。「天衣無縫」とは、今日、技巧のあとの見えない自然な文章・詩歌を讃える語だが、その本来の意味は、天人の着物、つまり羽衣に縫い目のような人工の跡がないことによる。羽衣はこうした卓越した美とともに、特殊な機能も有している。
すなわち、天人はそれを羽織ることで、鳥のように空を飛翔することができる。またそれは、天人たる神格を附与する機能も有している。おそらく、天人が水浴びをする間、羽衣を放置していなかったならば、人間界の者がそれを奪うことはできなかっただろう。そしてその衣は、どうやら着る者の内面にまで影響を及ぼすらしい。『竹取物語』の末尾、かぐや姫が天界へ帰るときもやはり「天の羽衣」を着るが、それを着た途端かぐや姫の心は変わり、人間界との別れにも全く感情を持たなくなってしまう。
「天の羽衣」は、羽衣伝説以外の場面でもしばしば引き合いに出された。
君が代は天の羽衣まれにきて撫づとも尽きぬ巌(いわお)ならなん
能「羽衣」のなかでも謡われる古歌である。地上に稀にやってくる天人が羽衣によって、巌を撫でる。それによって巌が消え尽きてしまうには途方もない時間を要する。それほどに長久に君主が続くことを、この和歌は祈っている。軽やかで柔らかい羽衣。それが、硬質な巌、そして長久の時間性と結びつく。この和歌の影響は大きく、後世には単に「天の羽衣」だけで、君主の長久を祈る語として用いられることもあった。
羽衣はこのように、王者との結びつきも持った。大嘗祭や新嘗祭では、天皇の前で五節の舞姫が舞ったが、これは、吉野山に降り立った天人の舞が起源とされた。それは天皇を讃えるための舞であり、舞姫の袖は「天つ袖」と言われ、その衣は羽衣に見立てられた。また、天皇自身が「天の羽衣」を着することもあった。大嘗祭において天皇が身を清めるときに着る湯帷子(ゆかたびら)は「天の羽衣」と呼ばれたという。天皇はそれを着し、水に浸かることによって、天皇としての神格を得たのである。羽衣は、王者を祝福し、その神格を保証する役割もまた担っていたのである。
要するに、羽衣とは、究極の美と機能を兼ね備えた、もっとも理想的な織物であった。織物の歴史、あるいは西陣織の歴史とは、羽衣の探求だった、と言うこともあながち過言ではないだろう。代々の職人たちは、羽衣にインスピレーションを受けながら、織物を発展させて来た。そして、能「羽衣」とは、羽衣をめぐるインスピレーションの集大成と言える作品であった――いまだ、この能が誰によって、また、どういう経緯でつくられたのかは謎に包まれているものの。
美しい衣がもっともその本領を発揮し、映えるときとはいつか。それは、その衣を着して舞うときにほかならない。能楽という芸能を服飾の面から支え続けてきたのが西陣織であった。数百年にわたって、能楽と西陣織はタッグを組んできた。人々を魅了し、また祝福する芸能のために、西陣の職人たちは惜しむことなく時間と労力を費やし、珠玉の織物を織り上げてきたのである。
1000年以上ひたすら理想の織物を追求してきた西陣織。いまその進化の先頭に立つのがHOSOOである。究極の美と機能を兼ね備えた織物を、HOSOOは現代において追求している。
HOSOOがメディア・アーティスト、プログラマー、数学者らと共同で進めた研究開発プロジェクト「QUASICRYSTAL」 では、従来のジャカード織機の制約を取り払い、果てしなく複雑な数学的処理を経て織られた織物を生み出した。その織物が飾られる空間のなかで行われたHOSOO NOH Hagoromo。そこで天人が羽織る衣は、紗の伝統工法に基づいて開発された、光を透過/反射するテキスタイル「No. 9039 Collage Transparent」である。
袖を翻し、袖を被(かづ)き、袖を返し、空間に円弧を描く。衣は風を呼び起こし、光を受けては撒き散らし、香りを放つ。舞うことによって、衣はただのモノではなくなる。それは、移りゆく雲、やさしく降る霧雨のような気象現象、「雰囲気」とでもしか言うことのできない、捉え難いものになる。能とは、身体と装束、音楽と詩によって、そうした「風景」を現出させる芸能である。そして、そこでは時間の流れ方も変わってしまう。そこに現出する時間は、織物の膨大な歴史、羽衣が秘める長久の時間にも通じている。
羽衣をめぐるインスピレーションは現代においてもなお尽きていない。そして、その源泉が尽きない限り、究極の美と機能を兼ね備えた織物の探究が終わることはないだろう。
原瑠璃彦