RESEARCH
MILESTONES
「MILESTONES―余白の図案」
Curator’s note ── デジタル・アーカイヴによる新しい意匠性 井高久美子(キュレーター)
約2万点の図案アーカイヴ
和紙でできた薄手の用紙の上に、朱色の線で方眼のマス目が書かれている。その方眼紙の上に鉛筆で描かれた文様は、精密であったり、曖昧に描かれていたり、時には幾重にも描きなおされた跡がある。これらの文様が描かれた紙は、「図案」と呼ばれるもので、約20もの工程に分業された西陣織の一番はじめに作成されるものである。HOSOOの工房では、1970年代に帯の制作に使用された約2万点の図案原本が保管されてきた。細尾12代目・細尾真孝が、この膨大な図案に目をつけ、新しい意匠性の研究や開発に役立てられないかと考えたのが帯図案のデジタル・アーカイヴ・プロジェクトの始まりだった。その活動の一端を展覧会「MILESTONES―余白の図案」として公開をおこなった。本稿は、企画を担当したキュレーターの視点から、展覧会の制作を通じて考察したデジタル資源としての図案の可能性を書き残すものである。
2014年から始まったデジタル・アーカイヴ・プロジェクトは、「MILESTONES PROJECT」と名付けられ、京都芸術大学のウルトラファクウトリーにて、今年、活動9年目を迎えた。プロジェクトでは、参加学生が主体となって、図案の原本を1点1点手作業でスキャンをおこない、約1万4000点に及ぶ膨大なデジタルデータを蓄積してきた。HOSOOはこれまでにも古典的な文様の分類やリサーチ、そしてそれらを用いた商品開発などに取り組んでいたが、しかし、このような膨大なデータを人間が1点1点分類し、内容を把握するには限度がある。そのため、これらのデジタル資源をどのように活用できるのかが一つの論点になっていた。
図案の「余白」と文様の背後にある感性
そもそも工房に保管されていた約2万点の図案は、「アタリ」と呼ばれる未着彩の素描図案である。長きにわたり文様などの図案の意匠性が継承されてきた一方で、色彩感覚は時代時代によって変化するため、着彩済みの図案はあえて残してこなかったという。現代では、あらゆるデザインはデザイナーが仕上がりまで全ての意匠性に責任をもち設計するのが常だが、西陣織における図案制作は、全体の工程の一つであり、その後、紋意匠図の設計、糸選び、染色、製織までに多くの職人の手を経てデザインが出来上がっていく。そのため、一人の職人や作家の手によって全ての意匠設計が完結するわけではない。この西陣織の工程そのものが、職人間の余白のバトンによって繋がれているといっても過言ではない。さらに未着彩、ラフスケッチなどあえて未完のものを残すことの意味を考えると、図案は、現代におけるデザインのプロセスでは考えられないような未完の余地を有している。そもそも図案という言葉は、「デザイン(design)」の訳語として明治期に生まれたものであり、日本におけるデザインの源流は、工芸の図案であるといっても過言ではない。そのように考えたときに、図案の「余白」に着目することにさまざまな可能性があると考えた。
もう一つ、制作の過程で課題となったのは、文様の意味をどのように扱うべきかということであった。これら西陣の帯に使われる文様には、古くは飛鳥時代に伝来した正倉院裂にルーツがあるものもある。この長きにわたって伝えられた文様を現代のデザインに応用しようとするとき、文様の意味に忠実になればなるほど、新規の展開には限度があるように思われた。
一方、こうした文様を眺めたとき、その幾何学的なリズムに生理的な心地よさと普遍性を覚える。織物は、組織も図柄も基本的にはリピートしている。これは制作の効率からそうなっている側面もあるが、しかし音楽が、拍や拍子といった繰り返しの周期性を持つように、織物も周期性が本質的に不可欠な要素となっている。このような周期性は、描かれる文様の造形や構図の中にも多分に現れている。そこに人間が長きにわたり受け継いできた身体的、生理的、時には精神的な抽象性を見出すこと。これが文様の本質を捉えるヒントになりうるのではないかと考えた。
伝統的な図案制作についてある職人に聞き取ったところによると、文様を描く際には、例えば季節感や吉祥性などの文様の文脈はある程度重視するものの、文様の組み合わせについては明確な決まり事や意図があるわけではないという。
例えば亀甲文様のような抽象的図形は、余白を埋めるに使い勝手が良く、感覚的に用いるという。文様の意味よりは、むしろ全体のバランスが重視されるようだ。さらに構図に動きがないと「流れていない」などの言葉で欠点を指摘されるという。この流れには、右流れ、左流れに沿ったS 字の流線形に文様を配置する構図の作り方があり、前者は関西、後者は関東というように文化的な意味合いも隠されているが、それ以前に、この流れるような構図が、川や山並みといった自然風景を彷彿させるような造形センスをもたらしている。
京都で図案教育が始まった明治期、欧州で同時代に流行した装飾美術運動にアールヌーヴォーがある。その造形的な特徴の一つは、同じく植物や動物といった自然モチーフの文様である。しかし帯図案と比較すると厳格なまでに構図がシンメトリーになっている。HOSOOが所有する図案を見る限り、帯の図案には、ほぼ左右対称に作られたものはなく、ほとんどがこの流線型の構図を意識して作られている。文様を配置し、構図に自然な流れを与えること、これらの良し悪しはきわめて言語化が難しい。しかし、膨大なアタリの図案の中に、西陣織で継承されてきた美的な本質が残されているように思われる。
AIによる図案の学習と生成、現代の着彩
本展では、こうした文様の純粋な衝動性をより理解するためにAIを用いることにした。堂園翔矢氏(コンピュテーショナル・デザイナー/プログラマー)に参加いただき、ディープ・ラーニングによるデジタル・アーカイヴの活用方法を試みた。具体的には、約1万4000点に及ぶ膨大な図案データについて、GAN(敵対的生成ネットワーク)と呼ばれるAIの一種によって文様の意味を無視し、幾何学的特徴のみを定義、学習した。
また学習したのち、新たな図案を生成し、映像として可視化をおこなった。AI 上では、実物の図案と新しく生成された画像を常に比較し競わせることで、実物の幾何学的特徴を持ちながらも実存しない図案を作り出すことができる。今回、膨大な図案データをGANによって学習、生成した結果、動物や人物、風景などのモチーフはほぼ消失し、高度に抽象化された植物文様が図案の中に現れてきた。一方、流線型に配置された文様の大きさ、配置、リピートの具合といった周期的特色は明確に残されている。
また、本展では、生成された新たな文様の解釈と着彩図案の作成をクリエイティブ・ユニットSPREADにおこなっていただいた。図案は、AIが生成した数千点の中から、SPREADが選定をおこなった。SPREAD曰く、あえて文様の形状に生理的違和感があるものを選定したという。これは見慣れた文様の様相(意味)を回避し、真っさらな視点で着彩に取り組むための工夫であった。さらにSPREADは、着彩した図案を粗いグリッドに写し直すことで、ピクセルアートのような図案を作成した。この工程により、文様の形状を完全に消し去り、色彩だけを強調してみせた。これらのグリッド化した粗い図案は、織物の設計図の一つ「紋意匠図」を彷彿させる。SPREADは、このグリッドに手作業で大小の差をつけ、あえて不均質にした。手描き図案には正確な方眼が描かれ、また描かれた文様にも一見、精密に設計されたパターンに見えるものが多くある。しかし、実際には、京都芸術大学でMILESTONES プロジェクトに携わる学生曰く、コンピュータ上で図案をトレースすると、文様には手書き特有の歪みが生じていることが分かったという。また最終的に織りあがった織物には、織組織や糸の物性によって生じる偶発的な歪みも出てくる。SPREADはこの点に着目し、抽象的なグリッドの中に、織物特有の不均質な意匠性を取り込もうとした。
これらのプロセスによって、着彩済みの図案を、本展会場の床一面にインスタレーションとして展示してみせた。インスタレーションへの展開はある意味では複数のメディアへと展開していくための象徴として実験を行ったものであり、HOSOOでは、後々はNFTやメタバースといった仮想空間における文様の応用と展開なども視野に入れている。
HOSOOでは、西陣織の美的本質を継承しつつ、現代の表現に活かしていくために、「図案の余白」をさまざまな形で拡張させていくことを模索していきたいと考えている。
井高久美子(キュレーター)