RESEARCH

庭と織物

「庭と織物」

「庭と織物——The Shades of Shadows」オープニング・トーク

登壇者:
原瑠璃彦(HOSOO GALLERYリサーチ・ディレクター、庭園アーカイヴ・プロジェクト リーダー)
津川恵理(ALTEMY代表)
戸村陽(ALTEMYパートナー)
井高久美子(HOSOO GALLERYキュレーター)
細尾真孝(HOSOO GALLERYディレクター)

HOSOO GALLERYの起源と「庭と織物」

井高:今日は本日よりHOSOO GALLERYで公開になる展覧会「庭と織物——The Shades of Shadows」についてのオープニング・トークということで主要なメンバーにお集まりいただいております。

まず、私の方から簡単にこのプロジェクトの動機や、どういう経緯でこのプロジェクトが誕生して発展してきたかというところをお伝えしたいと思います。私は前職で山口情報芸術センター[YCAM]というところにいたんですけれども、そこで2013年に10周年記念祭というイベントがありました。そこで音楽家の坂本龍一さんが芸術監督で来られていて、そのときに「庭」をテーマに芸術祭を開催したいと最初の打ち合わせでおっしゃいました。そのときは私自身「庭」というお題が意外だったんですけれども、そこから「庭」について考えるきっかけをいただきまして、徐々に原瑠璃彦さんを巻き込み、韓国の女性の現代美術家のムン・キョンウォンさんという方と3年にわたって、「Promise Park」というプロジェクトを行うことになりました。これは「公園」について考察するプロジェクトだったんですけれども、「公園」というのは実は庭園とすごく密接に結びついていまして、特権階級によって囲い込まれていた庭園が、近代や民主化が進んだときに初めて公共的な場になる象徴的な場所でした。そこから、都市のアーカイヴとしての公園や、その前身としての庭園をリサーチし、それを解釈したうえで新しい作品をつくっていこうというプロジェクトでした。

ムン・キョンウォン+YCAM「プロミス・パーク──未来のパターンへのイマジネーション」(2015)
撮影:田村友一郎 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

このプロジェクトでは17m×17mの巨大なカーペットをつくりました。これはムン・キョンウォンさんが、その年にヴェネツィア・ビエンナーレで、韓国の代表アーティストとして展示をされていたんですけれども、ヴェニスにはイスラムの文化圏からカーペットを輸入?していた歴史があり、絨毯が実はイスラムの庭園的な空間の場であって、ポータブルな庭園として機能していたという話を伺いました。そこで、このプロジェクトでは、閉ざされていた庭園が公の場に公開される、ある意味公共化されることを、織物で具現化してみようとしました。で、そのなかでこの具体的に織物を制作するにあたって細尾さんと初めてご一緒しました。また、原さんとは、公園の歴史について《Park Atlas》というビデオ・インスタレーションを一緒につくって公開しました。

その後も細尾さんとは継続してR&Dのプロジェクトをやらせていただき、2017年には同じくYCAMで「布のデミウルゴス――人類にとって布とは何か?」という展覧会を実施しました。それがこのHOSOO GALLERYの誕生に結びついていきました。

株式会社細尾+YCAM共同研究開発成果展示「布のデミウルゴス──人類にとって布とは何か?」(2017)
撮影:古屋和臣 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

細尾:いまこうやって振り返ってみると、HOSOO GALLERYのきっかけがこの庭のプロジェクトにあったということを改めて認識しました。そのときに、織物とコンピテーショナル・デザインの近さを感じましたし、また織物はメディアだということも認識しました。そういうなかで、織物を通して、人間にとっての美とは何かとか、人とは何か、そういったものを考えていくことができないかと、思うようになりました。この建物は、もともと55年前に建てたものをフルリノベーションして2019年9月にオープンしました。そのときに、R&Dをベースにしながら何年かかけて進めたものを展覧会としてここでアウトプットし、多くの方々に共有し、染織文化をいろんなかたちで世界に発信していきたいと考え、井高さんや瑠璃彦さんにご相談してこの2階をギャラリースペースにすることにしました。

細尾真孝

井高:ありがとうございます。HOSOO GALLERYのR&Dプロジェクトでは、いろんなコラボレーターの方をHOSOOの工房にお招きして、合宿のようなかたちでディスカッションからはじめて作品の制作を行っています。今回のプロジェクトでは建築デザインスタジオのALTEMYさんをゲストとしてお迎えして、約3年にわたって研究開発を進め、この展覧会が出来上がりました。なので、できた作品を持ってきて展示するというタイプのギャラリーではないというところを強調しておきたいと思います。

HOSOO GALLERYにはHOSOO STUDIESというものがありまして、現在10個くらいのリサーチ・プロジェクトが同時並走していて、いろんな方たちを巻き込みながら進め、その成果を展覧会としてアウトプットしています。このプロジェクトの生みの親でもある研究者の原瑠璃彦さんにはHOSOO STUDIESでは、これ以外のリサーチでもオープニングのころから一緒にやっていただいているメンバーになります。では、ここから原さんにお話をふっていきたいと思います。

庭園アーカイヴ・プロジェクトと「庭と織物」

原瑠璃彦

原:はい、ありがとうございます。このプロジェクトについてはいろんなトピックがありますので、なるべく手短にいたします。先ほど井高さんが説明してくださった、もう十年近く前になりました、YCAMでのプロジェクト「Promise Park」は、「未来における公園とは何か?」というテーマでした。そのときに僕は、日本における公園の歴史、庭園と公園の関係がどのようなものか、ということについてリサーチをやらせていただきました。そのときの《Park Atlas》を見直しますと、この空間にある織物の構造によく似ていていまびっくりしました。詳しい経緯は略しますけれども、そのときに、山口市のなかの各地にある石を3Dスキャンして「山口市の石アーカイヴ」というものをつくりました。公園という概念は海外から入ってきたものですが、もともと日本にあった公共空間を考えたときに、石が目印であったのではないか、と考えたわけです。石はずっと残りますから、道祖神のように信仰される神様になったり、その石の周りで市やお祭りが開かれたりしていた。そういうことを踏まえて、石を手掛かりに都市の古層を探ることにしたときに、石の3Dスキャンをやってみたのでした。そのとき、山口にある庭園の石の3Dスキャンもやったわけですが、そのなかで、これを日本庭園に応用したら日本庭園の新しいアーカイヴができるのではないか、というふうに思いました。それで、今度は僕からYCAMの方々に呼びかけるかたちで、一緒に日本庭園の新しいアーカイヴをつくるというこの庭園アーカイヴ・プロジェクトをはじめました。

《Park Atlas》 撮影:古屋和臣 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

これはどういうプロジェクトかと言いますと、日本庭園というのは石やら植物やら水やらいろんなものでできているわけですが、常に時間とともに変化している。でも、文化財として貴重なものですから、ちゃんとアーカイヴをつくるということが必要なわけです。ですが、いま文化、パフォーミング・アーツなどのいろんな場面でアーカイヴの開発が盛んななか、日本庭園は少し遅れているんじゃないかと思い、YCAMが持っているノウハウを活かすことで何かできることがあるのではないかと考えました。ですから、基本的には、いろんなテクノロジーを使って日本庭園の新しいアーカイヴをつくるとこと、それも、庭に関する新しいアーカイヴをウェブサイトとしてつくって公開することが第一の目的でした。それが「Incomplete Niwa Archives終らない庭のアーカイヴ」というウェブサイトです。”incomplete”や「終らない」という言葉を使っているのは、庭が常に変化することを踏まえています。これは少し単純化し過ぎていますが、建築や美術作品はやはり出来たときが完成で、そこから時間とともに劣化していく。もちろん、ものによっては骨董品のように時間とともに劣化することによって価値が上がるものもあるわけですけれど、日本の庭の場合は、とくに出来たときはまだ出来立てで、何十年もかけて、場合によっては何百年もかけてやっと良い庭になるというものです。ですから、日本の庭に対して「完成」というものははっきり言えない。日本の庭は常に「未完」のもの、「終らない」ものである、と。もちろん、厳密には”incomplete”=「終らない」ではなく、英語版と日本語版で違う言葉を使っています。そういうコンセプトで、日本の庭は「終らない庭」、incompleteなものであるため、そのアーカイヴをつくるということもどのようにしても不十分だし、その作業には絶対に終りはないということで――ですから、これをつくるプロジェクトメンバーも本当に大変なんですけれども――このようなタイトルのWebサイトをつくりました。

ウェブサイト「Incomplete Niwa Archives終らない庭のアーカイヴ」

このウェブサイトでは、庭そのもの全体の3Dスキャンを行った点群データを主軸にしつつ、石は何なのか、植物は何なのか、あるいはこんな生物がいたとか、この池にはこんな微生物がいる、といったさまざまな情報や、あるいは、庭の映像を載せたりすることで、言わば「動いている庭の動いているアーカイヴ」を目指しています。このウェブサイトは3年前に公開しましたが、それに合わせて、YCAMで展覧会をやらせていただきました。そのときに、アーカイヴのデータをウェブサイトのなかだけで完結させるのではなく、庭のアーカイヴを実空間にインストールするにはどうしようか、と考えたときに、それ以前に知り合う機会があったALTEMYの津川恵理さんを思い出し、あの方をお呼びすると何か面白いことができるんじゃないだろうかという僕の直観で巻き込き、空間デザインをお願いしました。それから長らくお世話になっているわけです。そのときにはこのように、YCAMの大きい階段に、固そうに見えるけど実は柔らかいウレタンの座具があって、そこにもたれながら、上の9つのモニターに映る庭のアーカイヴをぼんやりとながめるというインスタレーションでした。このときは、日本の庭はながめるものだということで、「ながめる」がキーワードでした。こういうインスタレーションの制作の背景には、庭のアーカイヴ自体も庭的なものであってほしいという考えがあります。もっと言うと、僕は庭自体アーカイヴの場だと思っているんですけれど。

インスタレーション・ヴァージョン《Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ》 空間デザイン:ALTEMY プログラミング:白木良 撮影:山中慎太郎(Qsyum!) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

で、今回は、改めて「庭と織物」ということで再びALTEMYさんとご一緒していただいてはじまったわけです。少しだけその経緯をお話しておきますと、「Promise Park」のとき、絨毯が庭園のようだという言い方がされていましたが、これはハンドアウトにも書いていますが、我々がそのときよく参照していたのが、ミシェル・フーコーが「ヘテロトピア」という講演のなかで、絨毯というのはポータブルな庭園だ、と言っていることでした。それが我々のなかのインスピレーションの源でした。絨毯を敷くことによってそこが庭園になるというような考え方ですね。ペルシャ絨毯とかだと、整形式でシンメトリーな構造で描かれていますから、非常に図案もペルシャの庭と似ていたりするわけです。そういうものがインスピレーションのもとにあったわけですが、それをここでもう一回振り返って、展示をやってみようということになったわけです。なぜ、織物と庭が結びつくのかというところでは、もちろん、織物のなかに自然のモチーフが出てくるとか、自然の素材を使っているとかいろいろあるんですけれども、今回、再び、建築のALTEMYさんにお願いしたわけですが――もっともALTEMYさんはただの建築家の方々ではないわけですけれども――、なぜ「庭と織物」というときに建築の方が出てくるかというと、織物は非常に柔らかくて自由に動かせるけれど、経糸と緯糸によるすごく強固な構造がありますよね。その二重性あるいは両極性は、ちょうど庭と建築の間くらいになるのではないかと思います。そこが何か手掛かりになるのかな、という思いがありました。ひとまずこの辺りで一旦切って、次にパスしたいと思います。

織物の開発とインスタレーション制作のプロセス

井高:はい。絨毯には、敷くことによってその場がつくり上げられるというところはあるんですけれども、この展覧会では「敷く」というより、どちらかというと「建てる」ことによって、身体をそのなかに投じざるを得なくなり、人がそのなかに入ることによって起きる現象のようなものを模索してこういう織物になりました。そういうことができたのも、やはりALTEMYさんがもともとそういう思考をすごく強く持ってらっしゃったからだと私は理解しています。では、ここからALTEMYさんに、織物との出会いから、この制作に至る経緯をお話いただけるとありがたいです。

津川恵理

津川:ありがとうございます。改めまして、建築家のALTEMY代表の津川恵理と申します。今回、一番はじめにお声がけいただいたのが2022年で、YCAMの展示をしたのは2021年なんですけど、およそ3年かけてご一緒させていただきました。はじめに細尾さんの工房を訪れた3年前、私たちが西陣織に関わらせていただくのも今回が初めてでした。私は神戸三宮駅という兵庫県で一番乗降者数の多い駅の駅前広場を手掛けさせていただいたことがきっかけでデビューしたようなものなんですけれども、たまたま私はニューヨークのDiller Scofidio+ Renfroという建築の事務所で修行を積んでいまして、彼らはメディアアーティストから建築家になった集団で、すごく面白い文脈で建築を考える方々でした。私も建築という建物を設計するというよりかは、何か人間の内面とか感性、内側にあるものと社会をつなぐ間に建築が成立するような状況をどうやってつくれるか、というスタンスでアーキテクチャを考えてきました。なので、建築の仕事ももちろんしているんですけれど、西陣織の開発をさせていただいたり、時にはモビリティデザインだったり、不思議な仕事の仕方をしている建築家集団です(笑)。そういう経緯もあって、ご縁があり、今回やらせていただくというときに、瑠璃彦さんの前でこんなことを言うのもちょっと恥ずかしいんですけど、日本庭園というだけで、ものすごい複雑ですし、もう論考もたくさんありますし、あまりにも高次元すぎて複雑で。もう一方、細尾さんの西陣織も、歴史もすごく長いですし、その重厚感のある二つを組み合わせるとなったときに「いやいや、ほんまどないすんねん」みたいな感じになってきました(笑)。3年前、細尾さんの工房を訪れて、職人さんから西陣織の解説をお聞きしました。そのときまで、織物って、素人ながらに、いちばん表面に出ている模様が西陣織の意匠性なんだと思っていたんですね。ただ、職人さんに「ルーペでなかを覗いてください」と言われて織物のなかを覗いたときに、経糸と緯糸というシンプルな構成にもかかわらず、その構造があまりにも複雑で、とても多層的であるということを知りました。で、あれだけの多様な織りの意匠があるけれども、この目に見えていない内部構造にこそ、西陣織の本質があるんじゃないかと思い、その内部構造を立ち上げたいという建築家としての欲望が出てきました。それを割と初期段階から話していました。一方、日本庭園も、そのときに見た風景というよりかは、やはり長い時間のなかでの変化とか、そういう多層的であり、重厚感があるなかに本質がある、と。それを重ね合わせてみたいと考えていました。

12か月分の坪庭の点群データと、その各月間の点群の変化量により色を付与したもの

今回は、まず、京都工芸繊維大学のKYOTO Design Labの皆さんにHOSOOさんの工房であるHOUSE of HOSOOの坪庭を3Dスキャニングするという、ずっと瑠璃彦さんがやられているアーカイヴの手法からスタートしています。1年間通して3Dスキャニングを行った結果、こういうある種のデータとして、日本庭園を捉えることができる。HOUSE of HOSOOの建築は、動かないものとして常にデータのなかに入ってくるんですけれど、各月取ると、やはり庭の変遷が見えてくるわけです。私たち人間としては、「秋に紅葉しました」とか「冬に枝だけになりました」ぐらい劇的に変化したときには気づくんですけれど、微細な変化はなかなか感じにくい。でも、この3Dデータを通せば、微細な変化を抽出できるんじゃないかということで、まず、この各月の間にあるデータ、つまり12ヶ月取ったデータの差分によって、動的で終わらない、つまり完成形がない状況をデータとして認知できるよう、ヒートマップで色をつけました。ここでは、もっとも変化したところが赤、全く変化していないところが青で、やや変化したところが黄色や緑になっています。こういう状況を、ヒートマップのようにビジュアライゼーションして、その各月の微細な変化を感じ取れるような質感を与えていきました。一年を通して春夏秋冬で見たときに、庭が劇的に変化しているダイナミックなスケールと、一カ月ごとに見られる繊細な変化のスケール、この2つのスケールを抽出することを試みました。

HOSOO GALLERYの3Dデータに庭の差分のデータを重ね合わせ、織物の配置とパターンを検討している様子

実は、いま皆さんがいらっしゃるこのHOSOO GALLERYの空間は、HOUSE of HOSOOの坪庭とスケールがたまたま同じぐらいでした。なので、坪庭の3Dスキャニングのデータをそのままこのギャラリーのなかに移動させて、そこにこういうふうに織物を入れていくことで、目に見えないけれども、庭が動き続けている状況を、織物を介して、我々人間が認知できる状態にできないかと考えました。つまり、織物を見て、その背景にある庭園の動的な状況を何か感じ取れる状況に持っていきたかった。そういう方向性でデータスタディをしていきました。ここで弊社のデジタルデザイナーの戸村にパスしようと思います。

戸村陽

戸村:現在展開されているのが、こちらの7枚の織物です。これらの織物は、先ほどご紹介した庭のデータにおける変化量が大きい箇所を円弧状に結ぶように配置しています。さらに、その点群のデータを活用し、織物のパターンへと落とし込んでいます。ハンドアウトの表紙にある画像をご覧いただくと分かるように、この点群には12種類の色が付与されています。

こちらが先ほど津川から紹介のあった、「各月の変化量のみを抽出したデータ」をもとに、そこへ3次元的に織物を展開している状況を示しています。それぞれの織物の近くに対応する変化量の点群のデータを、この展示のために作成したアルゴリズムによって織物に転写し、各織物のユニークなデータを作成しています。

ギャラリーに展開される6枚の織と、転写された点群データを示した展開図

そこから、季節ごとに大きく変化するダイナミックなスケールの変化と、月々の1ヶ月ごとの細かなスケールの変化を使い、2種類のグラデーションのデータをつくっています。最終的に、このデータを、建築で言う図面のような形でまとめ、HOSOOさんの職人の方にお渡ししました。、その後、HOSOOにいらっしゃるプログラミングにも精通した職人の方が、西陣織として構造的に成立するようデータを組織図に変換し、空間構成と共に決定したフィルム厚の構成に基づいて、慎重に織機で織り上げてくださいました。

庭の月間の小さな変化量のデータにより生成された、織の黒箔量の分布を示すグラデーションデータ
庭の季節ごとのダイナミックな変化量のデータにより生成された、織のフィルム量の分布を示すグラデーションデータ

津川:なので、上下で違うんですけど、各月の微細な変化量と季節ごとのダイナミックな変化量をうまくこの空間のなかに置き換えて、それを織物に転写してるような感じですね。これをもっと抽象度を上げるために、このグロデーションマップのように、アルゴリズムを組んで変換したものを織物の組織図として織り込んでいます。すると、結果的にこういうような織物に意匠性が出てくるんですね。で、織物自体に色はついてない。これは現象として出てきているんですね。織物を織る技術によってこの細かく波を打っているような表情が出ている。これは、HOSOOさんが前々からやられている「Ambient Weaving」というプロジェクトのなかで開発された、光弾性という光の屈折を扱いながら色を変える技術を用いています。経糸の張力、引っ張る力によってこの細かな微細な変化を織物の表情に見せています。そうすることで、この透明フィルムのような緯糸に外力を与えて「たわたわ」させるというか、細かな波打たせることによって、庭のデータから取ってきた細かな微細な変化を織物を通して表現している、という感じです。

空間構成のこの曲面の部分も、建築家が恣意的につくったものではなくて、この超複雑な3Dスキャニングのデータを織物に落としていかなきゃいけないので、どんどん次元を落として導いたものになります。まず3次元の点群データを、このように変化量が多いところを図示できるように戸村がアルゴリズムを組みまして、どの配置で織物を設置していくかを分析していきました。これを春夏秋冬で見ていき、全ての季節を重ねると、庭園のなかでおおよそ1年を通して変化量が多かった状況が浮き彫りになってきます。それと今回使う光弾性の反応を同時にクリアにする配置と長さを設計で決めていきまして、全体のこういう曲面ができています。この織物は回遊しながら見ると色が変わっていきます。膝を少し曲げて視点の高さを変えても少し表情が変わる。そういう身体を通しながら庭の動的な変化量を、織物を通してダイナミックな変化と微細な変化を感じ取っていただきたかった。なので、庭の動的な状況、輪郭はないものですけれども、すごく抽象的で変化していく時間軸のものを、織物を通して体験者に感じていただきたかった。そういうものを意識して、建築家として織りの組織図から全体の配置計画までを手掛けさせていただきました。

西陣織の伝統的な技術の応用

井高:この織物を実現させるために、非常に密なコミュニケーションをさせていただいたわけですが、すごく革新的に見えると思うんですけれども、実は西陣織の伝統的な技法をあますところなく使ってつくられています。そもそも西陣織はひたすら美を1200年間、京都の地で追求してきた織物であるわけですけれども、技術的にも世界的に類を見ないような複雑な織物です。その辺り、細尾さんから西陣織についてお話しいただきたいと思います。

細尾:そうですね。基本的に西陣織は先染めの紋織物というふうに定義されるんですけども、先染めでは、先に糸を染めて、経糸を上げ下げしながら、それに対して緯糸を入れることによって、柄や紋様、組織を織り出していきます。もともとは6世紀に中国から空引機(そらびきばた)という機がやってきて、その頃は2人がかりで、1人が4メートルくらい上にのぼって経糸を持ち上げ、下の人が織るという、そういう機構で1000年以上織られていました。で、ちょうど明治のタイミングに、フランスでヨセフ・マリージャカールさんという方がジャガード織機というものを発明して、それまで人が織機の上にのぼって手で経糸を上げていたのを、パンチカードでプログラム化しました。このパンチカードを何百枚も用意するイノベーションによって、王様のような限られた人しか着ることのできなかった織物が民主化された。それを日本に持ち帰ってイノベーションを起こすことによって、徳川の封建社会から次の時代につないでいったわけです。そういった経緯がありますが、このパンチカードからコンピューターが生み出されていったというところで、コンピテーショナルデザインと織物は非常に親和性が高い。経糸が上がるか下がるかというところが、その後のコンピューターのバイナリーコードの0、1につながっていく。西陣織では、おそらく世界で一番複雑な構造を設計できますが、先ほどお話にあったように、織物にとって何が大事かと言うと構造計算なんですね。これは本当に建築と同じで、経糸、緯糸との絶妙な均衡関係が取れてはじめて成立する。どっちかが強かったり弱いと崩れてしまう。そういうなかでで織物は織られています。

西陣織は、通常、帯だと32センチの幅の織機、ヒューマンスケールの幅で織るんですが、2010年に、世界で初めて150センチ幅で西陣織の技術素材の使える織機を自社で開発しました。基本的には経糸が約9000本 で、これを1本1本ジャガードによってコントロールして、それに対して緯糸を入れてレイヤーにしていく。そういう多層レイヤーも西陣織の特徴です。今回こういった3年間のリサーチを繰り返しながら、どんどん深いコンセプトに削ぎ落とされていきました。そして、とうとう我々も「先染め」と言いながら、今回「染め」というのはほとんどなくてですね(笑)、色が全くないなかからパターンが立ち上がってくるという織物ができました。そして今回、素材の開発というところも含めて、本当に我々西陣織にとっても、いままでなかった、この時代にしかできてない織物ができたというふうに思っております。

井高:ありがとうございます。西陣織のもう一つの特徴として、素材の自由さがあると私は思っていまして、緯糸に多様な素材を織り込んでいけるという技術がありますね。それは引箔と呼ばれる西陣織の伝統的な技法で、金箔や銀箔を和紙の上に通して、髪の毛ぐらいの細さに切ったものを織り込む。普通に考えると「糸」と呼ばれるものではないような素材を織り込む技術がもともと歴史的にあったからこそ、色々な素材を緯糸として用いることができる土壌がある。そこで「Ambient Weaving」という研究開発プロジェクトをやらせていただくことになり、色々と素材をつくってきました。先ほどお話あったように、この織物は太陽光や普通の照明のなかに持っていくとただのモノクロの織物になります。この環境のなかで見るからこそ、こういう色が立ち上がってきて眺めることができるし、非常に動的な織物になっているところがあります。

新しい庭の提示と「かげ」

井高:ここからジャムセッションにさせていただけたらと思うんですけれども、瑠璃彦さんとして、今回の展示の出来上がりやプロセス等について、いかがでしょうか?

原:そうですね。先ほど申し上げましたように、庭のアーカイヴをつくるということの一方で、インスタレーション作品をつくったり、いろんなことをやっているわけですけど、単に庭を受動的に見てあれこれ考えるだけではなくて、それを模してなにかつくってみる、再構築することで、実践的にいろんなものを見出していくということも趣旨の一つです。だから、ある意味、リサーチなのかアートプロジェクトなのか、本当に絶妙なよく分からないプロジェクトをやっていて、それにALTEMYさんにいつも付き合っていただいてるわけです。この展示も、庭と織物についてのリサーチが根幹にあるわけですが、一方で、新しい庭にはどんなものがあり得るのか、という新しい解釈や提案がサブテーマになっています。今回このような見たこともないインスタレーションができましたが、この展示自体が新しい庭なんだ、という提示でもあるわけです。さっき「建てる」ということをおっしゃっていましたけれど、織物をこういうふうにヴァーティカルにするというのはあまりないですよね。普通は床に対して平面に置いたり、着るわけですね。

細尾:そうですね。立てたとしても、こういうふうに両面から見えるようにすることはあまりないですね。そもそも色のない織物ってそこまでないですね(笑)。

原:まずその織物を「立てる」というところは文字通りに面白いですし、それは庭における「石を立てる」ことを連想させます。あと、このギャラリー空間に点群データをマップして、その変化量がよく取れるところに織物の曲線のラインをALTEMYさんに引いていただいたことに関してですが、それは恣意的ではないわけですけれども、でもやっぱりある種デザインの決定というのはありますよね。で、そういう、既存にあるものを踏まえて、それに対して選択をしてデザインしていくというのは、日本の庭づくりの根幹だと思うんです。日本の庭も、所与の環境、所与の石といった自然素材で、それと対話してつくっていくわけです。だからこのデザイン自体、一つの、いまなりの新しい作庭の手法なのかなというふうに思っています。あるいは、この織物の曲線は、僕が研究していた洲浜のような、日本の庭にある特徴的なくねくねした曲線っぽいような気もしてきます。

で、今回の展示のサブタイトルは”The Shades of Shadows”という「かげのかげ」というタイトルにしているんですけど、制作のなかで、散々色々もうわけが分からなくなるぐらい長く議論していくなかで、ぽっと出てきたのが「かげ」というキーワードでした。「ひょっとして「かげ」なんじゃないですか?」というような感じで。それは一つブレイクスルーでした。それまで色々やっていたことが全部つながったようなところがあった。いま我々はShadowとかそういうものを「かげ」と言いますけれども、日本の古い「かげ」という言葉は、たとえば、「月影」「日影」と言う場合、昔は日の光や月の光そのものを指していた。「かげ」というのは闇だけじゃなくて、光を混ぜ合わせた概念である、と。それから「面影」とか、人の記憶とか、あるいは肖像画のことを「御影」というふうに、やはり「影」と言ったりしますし、そのほか、水にチラチラ映ってるものを「水影」と言ったり、「かげ」は非常に複雑な概念であるわけですが、それは庭の結構重要なところでもあると思いました。そういうふうに「かげ」のことを考えていくと、僕は写真を撮ったり3Dスキャンをしたりして、庭のアーカイヴをいろいろ模索していたけれども、それは庭の「かげ」とも言えると認識しました。庭は常に刻一刻と変化していて、そこには唯一無二の現象が常に起こっていて、その一回性をいかに記録するかということやってきたわけですが、それはある種、庭の「かげ」を追い求めることだったんだな、と。3Dスキャンにしても写真にしても、全部結局「かげ」を写し取ることの応用なわけですよね。

今回の映像作品《四次元のかげ》は、3次元の庭のデータに時間軸を加えた4次元のデータを3次元に写像するという、ある種、数学的な「かげ」とでも言えるような作品です。その映像をさらにプロジェクションで壁に「かげ」として映し出して、それが床に水面のようにまた「かげ」が映る。《かげのかげ》は、織物の表面に立体的に陰影が見えますし、また、これ自体も、庭の池の水面のきらめきのようにも見えます。色のある「かげ」というのは、我々ちょっと馴染みがないかもしれませんが、でも、これが本来の「かげ」なのかなとも思います。《色のない庭》は、純粋に織物の「かげ」だけを見せるもので、ある種、枯山水のイメージでもあるわけです。こういうふうに「かげ」が今回一つ大きなキーワードでしたね。

井高:やっぱり西陣織自体、構造が複雑で、2次元平面に見えるんですけれども、実はそのなかにものすごく複雑な影があって、もともと光と影のバランスによって織物がつくられているふうにも感じます。その辺り、細尾さんどうでしょうか。

細尾:そうですね。西陣織がなぜ複雑な多層レイヤーの構造でいろんな糸の種類を織り込んでいくかというと、やはり光のリフレクション、今回で言うところの「影」をつくっていくことが非常に重要なわけです。それは光だったり角度だったり動きによって常に変わり続けていく。実は同じ色ではないんですね。さらに、織物の糸と糸が影響し合って、反射し合って、また色をつくっていく。それを全てデザインしていく。そういう意味では、今回全く色のないもので別物のように見えるんですけども、やっていることは本質的に西陣織がやってきたことでもあります。あと余談なんですが、このHOSOO GALLERYの床のカーペットは、西陣織ではないんですけれども、実はジャカードで苔のパターンを織った織物です。この展覧会を意図していたわけじゃないんですけども、ここへ来て、ある意味、苔の庭が広がって、向こうに枯山水のようなものがあって、というようなかたちになりましたね。

原:期せずしてそういう対比ができたわけですね。

西陣の織機の音とサウンド・インスタレーション

井高:もう一つ、お庭の話に戻りたいと思うんですけども、HOUSE of HOSOOは西陣にあるHOSOOの織物製作の拠点で、その坪庭には奥の方に蔵があって、そのなかに織機が置かれていて織物が製作されています。坪庭にいるとカシャンカシャンという心地良い織機の音が聞こえてきます。もともと全盛期の西陣の界隈は、町自体が織機の音が鳴ってるような場所だったそうですね。

細尾:そうですね。私もそこで生まれ育っていますけれど、京都の上京区の西陣と言われる5km圏内のエリア、それから御所の西側のエリアでも織物が1000年以上にわたって織り続けられています。本当に私も小学校のときとか、もう町中、夜中も含めて織物が織られていて、町が鼓動しているような場所でした。残念ながらこの40年くらいにどんどんマーケットが収縮して音は少なくなっていきました。

井高:今回、実際にHOUSE of HOSOOの坪庭でフィールドレコーディングというかたちで音を記録することもやってきました。何回かにわたっていろんな季節の音を採集してきたんですけれども、もちろん、庭らしい風が吹き過ぎていくような音であったり、鳥の鳴き声や虫の音もあったんですけれども、同時に、織機の音もアンビソニックスという立体音響録音をしてきました。この展示空間には実は12チャンネルの立体音響のシステムが付いていまして、音が時計のようにぐるーっと立体的に循環していくようなインスタレーションになっています。この空間自体がまるで時を刻んでいて、周期的に繰り返す。「かげ」が今回深いテーマの一つでしたけれども、時間の話も議論のなかでたびたび出てきた話でしたね。

原:今回、HOUSE of HOSOOの坪庭の3Dデータは、庭園アーカイヴ・プロジェクトの「Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ」というウェブサイトで公開しているんですが、実験的に12ヶ月分の3Dデータを円環上に配置しています。これも、循環とか、庭の「終らない」状況を実験的にあらわしてみたいという考えによります。

庭でいろんなアーカイヴを取るというなかで、音もやはり重要ということで、今回、東岳志さんという方にご協力いただいて、庭に行ってレコーディングしたんですけれど、その音を使って、ここでは12個のスピーカーのサウンド・インスタレーションにしています。こういうスピーカーから鳴る音というのも、言ってみれば、音の「かげ」なわけですけれども、同時にこれで「音の織物」をつくってみようということで、複数の時間の音を混ぜ合わせています。どの場所でも常に鳴っているノイズ、低音があって、そういうのを暗騒音と言うんですが、それをベース、言わば経糸にして、その時々に風が鳴ったり、鳥が来たり、虫がひゅって飛ぶような音を緯糸としていく、と。そういう、これも多層的な音の織物のようなものをつくって、それをぐるぐる回転していくサウンド・インスタレーションになっています。

さっき井高さんが言ってくださったように、HOUSE of HOSOOの庭にいますと、向こうの蔵で織機が動いているので、その音がかすかに聞こえるのが非常に気持ち良いんですよね。その感覚が原点にあって、HOUSE of HOSOOの庭で聞こえている織機の状況も時々ここで聞こえるんですけれども、最後どんどん織機の音が大きくなっていくようになっています。向こうの《色のない庭の》の展示室の奥の部屋が、ある種、蔵のイメージで、織機の音が向こうから聞こえるようになっています。だから、庭で聞こえる織機のシミュレーションをここでやっている面もあります。それが最後、織機の音がどんどん大きくなっていって、全体を回っていって終わる、というのをループするかたちになっています。

さっき細尾さんが、織機の音を「鼓動」とおっしゃっていましたけど、いろいろとブレストするなかで、心拍の話もしていましたね。人の心拍がほかの人の心拍と同期するというような話があったり、あるいは、ある人が家の時計に心拍数が同期していてずっと不眠症だったけれども、その時計の音を隠したら寝れるようになったという話がある。そういう話をしていて、ある種、庭を体験するということは、その庭に同期するというふうにも捉えられるんじゃないか、みたいな話をしていました。このサウンド・インスタレーションの最後で、織機の音が大きくなってリードし、それに鑑賞者がノッてくるような展開になっている背景には、そういう意図もあります。

それともう一つ、これも期せずしてなんですけど、最初、メビウスの輪のような、「終らない織物」をつくってみよう、といったこと言っていましたが、音も、庭を俯瞰していたのが、どんどん近づいていって、最後、内側になった織機と外側の庭が入れ替わるような、ひっくり返るような音の構成にもなっている。《4次元のかげ》の映像もそれに近いところがあると思います。この《かげのかげ》も、どっちが内側なのか分からないような、こっちが内側なのかと思ったらこっちの外側にまわりこむような、そういう空間にもなっていますね。

細尾:さっきの不眠症の話と逆なんですけれど、織機の音が聞こえるとよく眠れると祖母が言っていたことをいま思い出しました。そう思うと、やはり昔は本当に西陣の町自身が鼓動していたと思います。いまその鼓動が残念ながら小さくはなっているんですが、でもいま我々HOSOOも織機を増やしてまた鼓動を戻していこうとしている。ある意味、西陣の町自体が鼓動していたことを思い浮かべさせられるような展示にもなっていると思います。

原:織機の音が本当に面白いですよね。低音のあるドスドスという音がするんですよね。

井高:そう。織機の音に「ドン!」という低音が入っていまして、これは緯糸自体が太鼓のような役割になって、緯糸を引き出してテンションがかかったときに「ドン!」と振動しているんですね。マイクを近づけるとそこから音が鳴っていることがよく分かりました。この音響設計してくださった東さんは耳の天才みたいな方なんですが、いままで私たちが聞こえていなかったような音の風景を見事にここで体現してくださいました。今回の音は12分のループですね?

原:はい。今回、結構「12」がキーワードになっていますね。12ヶ月とか、12個のスピーカーとか。

井高:12分でループするんですけど、聞いていると、鳥の声みたいな「きゅっきゅきゅっきゅ」という音が聞こえてきますが、それはこの織物を織っているときに箔を引き込む音なんですよね。

原:それがヒヨドリの鳴き声と似ていて、織機の音とどっちがとか分からないようになっていますね。

井高:だから、織物をめぐる西陣の音の風景みたいなものが、この展覧会において、織物と同じように重要になってきてるというふうに思いました。

見出されたルーツとしての庭

津川:私、今回の展示で建築家として影を設計したいんだなってことに気づいたんです。

原:やっぱり津川さんは現象の人だよね。

津川:そうかもしれない。現象と時間に興味があります。

原:建築という強固なものをつくる仕事をしているけれど、一番狙っているのはそこで起きる現象だよね。

津川:そうですね。そこを多分いち早く見抜いてくださったんですよ。私が独立してすぐのときに瑠璃彦さんが。

原:僕自身は、日本庭園というものを美術館とかそういうものじゃなくて、日本庭園自体が上演、パフォーマンスだというふうに見てきた。それはイコール現象なわけだけども、もっと言うと、イコールそれは「かげ」なわけですよね。「かげ」というのも常に移ろいゆくものだし、そこが本質ですね。

津川:今日はじめて自分で自覚したんですけれど、私、生まれ育った家が裏庭と表庭に囲まれている家だったんです。で、5歳のとき阪神淡路大震災で被災して全壊してるんですけど、庭は残ってるんですね。その建て直した家に新しく天窓がついて、現代建築になって、天窓と庭に挟まれた部屋で生きてきて、しかも、私、両親共働きでずっと部屋で1人で過ごす時間が多かったんですよ。そうすると、1日を通して、その庭の変化をものすごい感じながら生きている自分がいて。一日の中である時間になって、太陽の光の射し方とか、庭の状態とか、ベストなコンディションが整ったときにかける音楽とかも全部決めてたんですよ。そういう結構マニアックな生き方をしていて、日々移り変わる環境に囲まれて生きてきたことに、いま気づいたんですよ。

原:我々3年くらい前からずっと言ってたもんね。「建築は死ぬけど、庭は死なない」ということを。

津川:そう。言ってたんだけど、それが実体験にあったんだということに、いまこのトークイベント中に気づいて、それで頭が占拠されてしまいました。建築家としての原風景は実は庭にあったんだ、と。しかも実家の庭にあったんだということに今日はじめて気づいた。私、だから、就活のときのエントリーシートにも「好きな建築を一つ書いてください」という欄があって、みんなすごい名作書くんですけど、私「実家」って書いたんですよ。

一同:(笑)

津川:そう書いた理由も「なんでなんやろ?」と思ってたんですけど、多分庭だったんだなっていうことに今日気づきました。いままで気づいていなかった。なぜあの環境が自分にとって一番良いと思ってたんだろう。

細尾:今日は記念日でしたね。

原:そのための「庭と織物」展だったわけですね。

津川:そう。自分は建築家として影を設計したいんだと、言語化して頂いた展示になりました。ありがとうございました。